2009年09月12日

ボーイ・ミーツ・ガール

外国人が日本語で歌う曲についてぼんやり考えていたら、アヴリル・ラヴィーン「ガールフレンド」に日本語版があることを思い出した。どんな感じだったっけと、すぐにYouTubeで検索して観てみたら、日本語版とはいうものの日本語を使っているのはあの有名なサビの部分だけで、それ以外は英語で歌っていた。だからちょっと残念だったけれども、そりゃそうだよなととりあえず大人の納得をした。でも何より僕はあの曲が大好きなので、久しぶりに聴いて気分は上々って感じにはなった。これレコード持ってないんだよな。12インチ出てたのかな、なんて思いながら。それと同時にもうひとつ、そういえばあれ結局どうなったんだっけと思い出したことがある。それは、アメリカのパワー・ポップ・バンド、ルビナーズが、アヴリル・ラヴィーン「ガールフレンド」は彼らの「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」という曲の盗作であると主張し、彼女ならびに作曲者、および彼女の所属事務所を提訴したという一連の騒動である。

ルビナーズ「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」の作者であるトミー・ダンバーおよびジェームズ・ギャングワーは、彼らが1979年に共作した本作の歌詞およびメロディの一部が、アヴリル・ラヴィーン「ガールフレンド」において無断で流用されていると主張した。しかし、それに対するアヴリル側の反論も最高に面白いものだった。ルビナーズ「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」だって、ローリング・ストーンズ「ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド」に似ているじゃないかとやり返したのだ。ウィキペディアによると、結局、ルビナーズ側が告訴を取り下げることでこの騒ぎは一件落着したようである。

個人的な意見としては、「ガールフレンド」の作曲者は、「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」を聴いていた可能性が高いし、ルビナーズのトミー・ダンバーは「ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド」に影響を受けて「アイ・ワナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」を書いたのだと思う。でもアヴリル・ラヴィーンがこうしたロックの歴史について全く無知であったとしても自然なことだと思うし、それがいけないことだとは思わない。例えばロックンロールの始祖のひとりチャック・ベリーみたいな人間が、ロックの歴史を勉強しろなんて説教するだろうか?仮にアヴリル・ラヴィーンの表現が時代を超えた普遍的な説得力を持っているとして、それは彼女がロックの歴史を“知らない”ことでもたらされているという可能性はないのだろうか。問題の3曲をあらためて聴き返して感じるのは、ルビナーズの曲における、ロックンロールの歴史に敬意を払うミュージシャンが必然的に陥りがちな強度不足である。そしてこれはルビナーズのようなパワー・ポップ・バンドが宿命的に背負った十字架のようなものなのだと思う。

昨年の9月16日、アヴリル・ラヴィーンは東京ドームで熱狂的なファンの声援に包まれていた。そしてその1年ほど前にルビナーズは、新宿JAMでひさびさの来日公演を果たしている。新宿JAMなんて知らないというひともいるかもしれないが、わが国の最高にセンスのいいバンド達、例えばザ・コレクターズや東京スカパラダイスオーケストラだって、その活動初期には新宿JAMで観客を沸かせていたのだ。狭くて汚い小屋ではあるが、ある種の連中にとっては、青春時代の甘酸っぱい記憶とともに語られる聖地なのである。アヴリル・ラヴィーンが日々何を考えて生きているのか、僕には全く想像外ではあるが、ルビナーズの連中の気持ちならば少しはわかるような気がする。ルビナーズがアヴリル・ラヴィーンに物申したとき、やはり窮鼠猫をかんだのだと思う。長い逡巡の末、勇気を出してこぶしを振り上げたのだと思う。売名行為の可能性は否定できない。でもその売名行為のおかげで今度彼らが来日したときに、新宿JAMが超満員になるならばそれでいいじゃないか。

この件についてミック・ジャガーに質問したならば、彼はどう答えるのだろうか。「チャック・ベリーにでも訊いてみたら?」なんて、はぐらかされるのかもしれない。

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posted by 水上 徹 at 12:16| 音楽 | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

夢みるシャンソン人形

今日もラジオの話題からはじめることにする。ちょっと前の亀渕昭信さんのラジオで、フランス・ギャル「夢みるシャンソン人形」の日本語版を聴いたらそれが欲しくなってしまって、早速ヤフオクで買ってみた。オリジナルのオケに片言の日本語がのっているっていうのがすごくよくて、1日何回も聴いたりしている。日本盤は意外にも結構音がよかった。素晴らしい。

こういった日本語版のレコードは60年代には多く発売されていて、中にはこんなものまで!と驚かされるものもある。7月のCRTは恒例の“オールディーズまつり”だったんだけど、イベント終了後に萩原健太さんがさりげなくBGMとしてかけたジニー・アーネル「ダム・ヘッド」日本語版が耳に入ってきた時には、大げさではなく背筋に戦慄が走った。まったく油断ならないです。このような日本語版を集めたCDボックスが発売されたら、絶対買うのにな。権利関係なんかが難しくて、やっぱりそういうのは無理なのかな。

フランス・ギャルの日本語版「夢みるシャンソン人形」の訳詞は岩谷時子。この訳詞の“本当の愛なんて歌の中だけよ”という箇所がグッとくる。原語よりもマイルドな味わいなのだと思うが完成度は高い。この岩谷時子の訳詞は日本の歌手も多く歌っていて、フランス・ギャルと同時代的には中尾ミエと弘田三枝子が、そして岩谷さんの仕事だからもちろん越路吹雪が、70年代にはアルバム中の曲として南沙織や小林麻美などが取り上げている。

この「夢みるシャンソン人形」という曲は、70年代〜80年代初頭における日本の商業音楽に大きな影響を与えているように思う。タイトルからしてそのままの伊藤つかさ「少女人形」(作曲:南こうせつ)、アニメ山ねずみロッキーチャックのオープニングテーマ「緑の陽だまり」(作曲:宇野誠一郎)といった曲がわかりやすい例だが、初期の山口百恵、特に「青い果実」「ひと夏の経験」(双方とも作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二)あたりの曲に、単なるメロディの剽窃を超えたサウンド・コンセプトの要として深く濃い影を落としているような気がする。だからおかしな話だけれども、フランス・ギャルの日本語版「夢みるシャンソン人形」を繰り返し聴いていると、フランス・ギャルが歌謡曲をカヴァーしているような、そんな妙な感覚を覚えたりもする。

外国人が歌う日本語曲ということで個人的に真っ先に思い出されるのは、外国曲の日本語版ではなくて、日本人が作った曲を外国人が日本語で歌ったという珍しい例、クローディーヌ・ロンジェ「絵本の中で」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)である。“絵本の中の恋は恋は甘い甘い夢ね”という歌詞は、「夢みるシャンソン人形」の“本当の愛なんて歌の中だけよ”という部分とどこか呼応しているようにも思える。聴くたびにやるせない気持ちになる名曲である。

外国人が歌う片言の日本語は、どこかもの悲しい余韻を残す。それがクローディーヌ・ロンジェのものであるならば、なおのことだ。

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posted by 水上 徹 at 23:51| 音楽 | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

どんな音楽が好きなんですか?

友人の高瀬君がホームページを開設しブログもやったりしているので、毎日読んでいるうちに、そういえば僕もずっとやってみたかったような気がすると思い、いわば連れション感覚でブログをはじめてみた。あんまり頑張ると続かないので、ゆるりゆるりと僕が好きな古い音楽のことを中心に書いていくことにします。今後ともよろしくお願いします。

昨日佐野元春のラジオを聴いていたら、冒頭1曲目にロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」がかかった。もちろん8月26日に死去した、この曲の作曲者エリー・グリニッチを追悼してのことなのだが、今まで何回聴いたかわからないこの曲にあらためて耳を傾けていたら、自分が好きな音楽の要素がこの曲に全部入っているように思えてきた。そして無人島レコードは「ビー・マイ・ベイビー」でいいんじゃないかと、これしかないんじゃないかと、好きな曲は「ビー・マイ・ベイビー」だと言い切ることが、すごくカッコイイことのように無理なく思えた。

僕は音楽好きの親しい知人・友人と会話するとき以外は、音楽好きオーラをできる限り出さないように気をつけている。その理由はただひとつ「どんな音楽が好きなんですか?」という質問を相手から引き出したくないからだ。それでも会話の流れで「どんな音楽が好きなんですか?」と訊かれることは時折あるので、どのように答えるか、自分の中である程度決めている。

音楽にそれほど詳しくなさそうなひとには「ビートルズみたいな古い洋楽が好きです。」と答える。そして「意外だねー。そんな風に見えないねー。」なんて言われたりする。ある程度洋楽の知識がありそうなひとには「ビーチ・ボーイズなんか結構好きですかね。」ぐらいに答える。ごく普通の一般社会に暮らしていて、ビーチ・ボーイズを好きなひとに会う確率は極めて少ないので、会話は「ふーん。」ぐらいで終わってくれる。そして相手が自分の知識を総動員して、イーグルスやジャクソン・ブラウンの話へと会話をスライドする前に話題を変える。

自分と音楽の趣味がかぶる部分がありそうなひとには、かぶる部分を言いつつ相手の自尊心をくすぐる。「ヴァン・ダイク・パークスなんてよく知ってますね。」とか「ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズを好きなひとに初めて会いました。」とか。こんな会話、実際はしたことないけど。

でも今日からはすべてのひとに対して、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」一本でいこうと思う。これってなんだか男らしいと思いませんか?

これが僕のエリー・グリニッチ追悼&リスペクト表明。
エリーさん、安らかにお眠りください。

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posted by 水上 徹 at 02:04| 音楽 | 更新情報をチェックする