「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」
今から数十年前に加藤からこのように言われたと、北山修はこの優れた追悼文に書き記している。このいかにも加藤和彦らしい発言は彼の行動原理を端的にあらわしているように思える。加藤和彦は音楽の現場でも世界で一番おいしいケーキを求めて、マッスル・ショールズやバハマ、ベルリンなど世界各地のスタジオを渡り歩き、さまざまなアルバムを制作した。コスポリタンという言葉がまだ人々に美しい夢を与えていた80年代において、彼の生き方は人々の憧れであり、可能であるならばいつか手に入れてみたい目標のひとつとして存在していた。追悼文が掲載された日の夜に放送された、ニッポン放送での加藤和彦追悼番組の中で小林克也は、洋楽と邦楽を区別する必要はないと彼から言われて目から鱗が落ちた体験について語った。やはり彼は、数少ない真のコスモポリタンだったのかもしれない。そしてその印象は世界各地での体験を小説に結晶化させたアーネスト・ヘミングウェイの印象とも重なり合う。結婚と離婚を繰り返し、最後には61歳で猟銃自殺してしまったパパ・ヘミングウェイ。ちなみに加藤和彦は享年62歳であった。
もう生きていたくないと“本気”で思い込んでしまった人に対して、本人以外の人間ができることはほとんどない、と思う。もし仮に何かできることがあるとすればそれは、その“本気”というものの疑わしさを本人に伝え続けることなのかもしれない。すごくおいしいものを食べたり、素敵な女性とめぐり逢ってしまったり、まだ手に入れていない素晴らしいレコードのことを想像するだけで、その“本気”は簡単に揺らぎはじめるものだよ。人間の不完全さ、自分の中のいい加減でだらしのない部分を味方につけられる者こそが、深い絶望に打ち勝つことのできる、しなやかで強い人間なのだよと、語りかけるよりほかはないような気がする。加藤和彦はすべての一流のものを味わい尽くしてしまって、もはや現世に未練はなくなってしまったのだろうか。新しい曲がうまく書けなくなったから、自分の価値もなくなってしまったともし思い込んでいたのだとしたら、それはとても残念なことだと思う。ただ静かに笑いかけるだけで、そばにいる人を幸せにできる力が彼にはあった。70年代の少女マンガに登場するひょろりと長身のやさ男みたいな彼のことが、そしてヘタクソだとけなすひともいたけど、あのちょっとマイケル・フランクスを思い出させるような頼りなげな歌声が僕は好きだった。
出棺前に北山修は、「加藤さんの中には2人の人間がいた。1人はいつも優しくてニコニコしている人。もう1人は厳しくて完ぺき主義で怖い人。この2人のうち厳しい人が自らの命を絶たせてしまったんだと思う」と話したという。優れたクリエイターの心の中には、このような二面性が必ず隠されているものだと思う。そしてこのふたつの側面が危ういバランスを保ちながら往復運動をした副産物のようなものとして、作品が生み出されるというようなことがあるのだと思う。我々はニコニコ優しい、絵に描いたようなトノバンしか知らなかったけど、人前ではどんなことがあってもイメージ通りの加藤和彦を演じなければならないと、完ぺき主義のトノバンが常に目を光らせていたのかもしれない。彼は自らの死によって、今まで我々が全く知る由もなかったもうひとつの顔を最後にみせてくれた。自分の命をどのようにつかおうが、他人からとやかくいわれる筋合いはない。自分ひとりの命ではないというような常套句も好きではない。まったく大きなお世話だと思う。ただあえて彼の死についてコメントさせてもらうならば、こういうことになる。「ひょっとしたら彼は自分の死を完ぺきにプロデュースしてみせたつもりなのかもしれないが、正直いっていまひとつだった。常に時代を牽引し続けた彼らしい、フォロワーが続出するような優雅で素敵な死に方ができなかったものか、もし次があるならば期待したい。」こんな酷評を書けば、完ぺき主義者の彼が血相変えて棺桶から出てきてくれるんじゃないだろうか。お願いだから出てきて欲しい。
加藤和彦と至近距離に近づいたことが、一度だけある。冷やかしで入った改築前の紀ノ国屋本店で、同じエレベーターに乗り合わせたのだ。彼はカートに乾燥パスタや高級食材を沢山載せていた。それはどこからどうみても、イメージどおりの絵に描いたような加藤和彦そのものだった。そのさりげない佇まいは、余裕のある豊かで満ち足りた生活を送ることが、優れた音楽を生み出す秘訣なのだと伝えてくれているようだった。今思えば、彼だってそれほど満ち足りていた訳ではなかったのかもしれない。僕にとってはもの珍しい商品が並んだ紀ノ国屋本店も、彼にとっては日常そのものだったのだろう。あらためて彼の作品に接するとき、オブラートに包まれた無常観のようなものが垣間見えることがあるが、それは加藤和彦が音楽で嘘をつきたくないという気持ちのあらわれだったのかもしれない。世界一おいしいケーキを食べるために全財産をはたくというたとえ話は、金銭的価値に還元し難い何か大切なものがこの世界には存在するという彼の信念を、逆説的に表現しているようにも思える。加藤和彦の心の中心には、最後まで繊細で無垢ななにかが確かにあったと僕は信じたい。さようなら、トノバン。今までたくさんの素敵な音楽を本当にありがとう。