こういった日本語版のレコードは60年代には多く発売されていて、中にはこんなものまで!と驚かされるものもある。7月のCRTは恒例の“オールディーズまつり”だったんだけど、イベント終了後に萩原健太さんがさりげなくBGMとしてかけたジニー・アーネル「ダム・ヘッド」日本語版が耳に入ってきた時には、大げさではなく背筋に戦慄が走った。まったく油断ならないです。このような日本語版を集めたCDボックスが発売されたら、絶対買うのにな。権利関係なんかが難しくて、やっぱりそういうのは無理なのかな。
フランス・ギャルの日本語版「夢みるシャンソン人形」の訳詞は岩谷時子。この訳詞の“本当の愛なんて歌の中だけよ”という箇所がグッとくる。原語よりもマイルドな味わいなのだと思うが完成度は高い。この岩谷時子の訳詞は日本の歌手も多く歌っていて、フランス・ギャルと同時代的には中尾ミエと弘田三枝子が、そして岩谷さんの仕事だからもちろん越路吹雪が、70年代にはアルバム中の曲として南沙織や小林麻美などが取り上げている。
この「夢みるシャンソン人形」という曲は、70年代〜80年代初頭における日本の商業音楽に大きな影響を与えているように思う。タイトルからしてそのままの伊藤つかさ「少女人形」(作曲:南こうせつ)、アニメ山ねずみロッキーチャックのオープニングテーマ「緑の陽だまり」(作曲:宇野誠一郎)といった曲がわかりやすい例だが、初期の山口百恵、特に「青い果実」「ひと夏の経験」(双方とも作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二)あたりの曲に、単なるメロディの剽窃を超えたサウンド・コンセプトの要として深く濃い影を落としているような気がする。だからおかしな話だけれども、フランス・ギャルの日本語版「夢みるシャンソン人形」を繰り返し聴いていると、フランス・ギャルが歌謡曲をカヴァーしているような、そんな妙な感覚を覚えたりもする。
外国人が歌う日本語曲ということで個人的に真っ先に思い出されるのは、外国曲の日本語版ではなくて、日本人が作った曲を外国人が日本語で歌ったという珍しい例、クローディーヌ・ロンジェ「絵本の中で」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)である。“絵本の中の恋は恋は甘い甘い夢ね”という歌詞は、「夢みるシャンソン人形」の“本当の愛なんて歌の中だけよ”という部分とどこか呼応しているようにも思える。聴くたびにやるせない気持ちになる名曲である。
外国人が歌う片言の日本語は、どこかもの悲しい余韻を残す。それがクローディーヌ・ロンジェのものであるならば、なおのことだ。